連載第13回目は、瀬戸内沿岸、山口・広島・岡山の大学や企業内ダイビングクラブで、
ダイビングコースの実施、ダイバー間の交流・ネットワーク作り、そして、ITCの開催と幅広く活動している
「広島マリネット」代表の弘中 満雄氏(#19459)です。
NAUI創立50周年おめでとうございます。これまでの連載で、先輩たちのご苦労とご活躍の様子を読ませていただき、あらためて50周年をお祝いするとともに、あたりまえのように慣れてしまった日々を見つめなおすいい機会になったことをありがたく思います。このたびは、まだまだ多くの諸先輩たちがおられるなか、NAUIではまだ新参者の私に話をする機会を与えていただいたことを感謝します。
私は1985年に伊豆・大瀬崎でダイバーデビューし、2年後にアシスタントインストラクターに、更に1年後インストラクター(指導団体:JNASA)になりました。1989年から指導団体「YMCA」が日本でスタートすることになり、YMCA職員であった私はYMCAインストラクターとなります。東京から広島へと転勤になり、体育・スポーツ系の専門学校を任されることになったためダイビングの専攻コースをつくり、ダイビング業界への人材供給に乗り出しました。学生の就職にむけて資格を付与させるために、一般的知名度の高いNAUIにクロスオーバーし、山口・広島県エリアで第1号のコースディレクターとなりました。1997年、NAUIとの出会いです。その後、「日本YMCA」のスクーバ事業部長として全国的にスクーバプログラムを推進していくという役割のなか、大阪・神戸・広島のYMCA専門学校でNAUIのスクールファシリティーとして、インストラクターの養成をおこなってきました。
5年前に広島YMCAを離れ、平日はいくつかの大学でダイビングを指導 し、週末は国内最大級のニホンアワサンゴの群生地として注目されはじめている山口県周防大島 を活動拠点に、瀬戸内沿岸(山口県・広島県・岡山県)の大学や企業内クラブの指導、ダイバー間の交流・ネットワーク作り、そしてインストラクタートレーニングセンター(NITC)として指導者の養成(http://www.a-planet.jp/)をおこなっています。
さて、ダイビングをはじめた当初より私はダイビングをメジャースポーツにしたいという壮大な夢を描いていました。まだ、ダイビングを誰もが経験できるような環境がありませんし、一般的なものとして認識するには圧倒的にダイバー人口も不足しています。その意味では学校体育、特に大学体育の果たす役割は大きいと考えています。今日のゴルフ人気も、かつて大学が「ゴルフ」を授業で展開していったことで広く理解され始め(背景にはバブル経済と接待ゴルフがありましたが)、結果として今日の人気を支える人口層を築いていった事実を見過ごせません。大学でダイビングを指導できる者が少ないことから、まだまだダイビングの授業は全国的にも珍しいこととは思います。しかし、打ちっぱなしのゴルフ場でレッスンプロに依頼をして始めたゴルフの授業と同じで、時間をかけて大学教員も徐々に学生に技術指導ができ るまでに上達していったのです。
また、ダイビングをビジネス的に捉えてみても社会経済に敏感に反応し景気が左右されるレジャー産業よりは、ダイビングをエコロジーと連動させ教育的価値をもつスポーツ教育として捉えることが重要です。ダイビングが学校教育に位置付けられるように働きかけることは業界としては経済的にも安定的であり、NAUIらしいアカデミックな展開ができます。全国の水産(海洋)高校ではすでにダイビングの授業がおこなわれて久しいのですが、学習指導要領では、中学校には「地域や学校の実態に応じて積極的に行うこと」として、高等学校には、「自然に親しむことができる資質や能力を育てる」とし、それぞれに水辺活動が位置付けられています。修学旅行でスキーやスノーケリング・体験ダイビングが採用される根拠はそこにあります。ここに、私たちのビジネスチャンスが潜んでいます。
不況を乗り切るのは緊急の問題ですが、不況に影響されない経営環境をつくることも大切です。NAUIのカリキュラムを持って学校現場への働きかけをおこない、大学教員がダイビングを指導できるような方法論を提案し、具体的にカリキュラムを提示し、研修システムを確立し、器材の提供等ダイビング教育が実施できる環境を整えていかなければなりません。大学で専門性を持った体育の先生がバスケットボールやバレーボール、スキーや水泳を教えるのと同じようにダイビングを教えるだけのことですから、指導者養成といってもそんなに長い時間を必要としないでしょう。指導者の質は元来高いレベルにあり問題にはなりませんが、逆に私たちインストラクターには、学校教育界への進出に伴って自らの力量を高める準備が必要です。今後指導者の質の高さが求められることは必至です。
ところで、私がダイビングを始めた1985年は高度経済成長期で、女性の社会的・経済的自立を背景に、ダイバーが急増します。多くの国産潜水指導団体は1980年代から90年代前半にかけて設立され、ダイビング業界が活気づきます。ダイビングインストラクターを養成する専門学校もこの時期に動き始めました。1989年の映画「彼女が水着にきがえたら」が更にダイビングブームを後押しし、一方でダイビングの事故が紙面を賑わせ始めます。インストラクターやダイバーの力量にバラツキが目立ち始め、主要な指導団体によるダイバー認定基準のすり合わせを行うという努力もおこなわれ、あわせて乱立気味だった指導団体も徐々にその後淘汰されていくことになります。この頃は、海外でダイビングをする場合旅行傷害保険には特約が必要でした。現在、旅行先でおこなわれるダイビングは特約から外れ、旅程に組み込まれたプログラムの1つにすぎません。それでも「ダイビングは危険なスポーツだ」といまだに感じている方がおられるのも事実です。ひとたびトラブルが起きれば、大きな問題に発展するし、事故はメディアも大きく取り上げるからでしょうか。
ダイビングがレジャーあるいはスポーツであることを前提にするなら、それぞれのレベルでダイビングの「安全な楽しみ方」があるはずです。たとえば、バレーボールゲームの様相発達は、初めは個人単位でボールを突き合い、ネット越しに球が往復するだけで楽しめるレベルがあります。そのうち、サーブを含め相手の取りにくい球を打つことがゲームの関心事になってきます。その結果、「トス」からの「スパイク」(いわゆる三段攻撃)が意識化されることにより、バレーボールらしさが出てきます。相手の強打に対抗するためブロックが、ブロックをかわすためにフェイントやクイック攻撃が、更に時間差攻撃、移動攻撃、バックアタック攻撃へと技術が進歩・発展していきます。三段攻撃で十分通用するレベルでは時間差攻撃の必要もないし、時間差攻撃が当たり前のレベルにおいては三段攻撃のみでは歯が立ちません。このことは、拮抗するレベルの対戦において満足度の高まりと力量の向上がみられ、レベルの合わない対戦相手では互いにゲームを楽しむ興味が削がれるばかりか、劣位のチームにとっては怪我をする危険性さえあることを示しています。
ダイビングにあっては、ゲームの相手は自然ですから、こちらが自然のレベルに合わせなければなりません。三段攻撃のレベルで楽しもう(楽しめる)と思っていたところが、そのポイントでダイビングを楽しむにはバックアタック攻撃ができないと対応しきれないレベルなのかもしれません。そのようなポイントでのダイビングは自分の力量に合っていないのですから、自らが危険になるというだけでなく、自然にダメージを与えてしまうことになるかもしれません。サンゴ保護の観点から、慶良間諸島ではダイバー制限の動き が出ています。ダイビングポイントには、初心者・中級者・上級者といった程度に分類されているものありますが、変化する海況によってはあまり当てになりません。アイスバーンや新雪のゲレンデでは、初・中級スキーヤーが立ち往生している光景を目にすることはしばしばです。
それでは、ダイバーはそのような判断能力をいつどこでどのようにして身につけることができるのでしょうか?ダイバーの判断能力は、指導、教育によって培われるものです。ダイバーの能力は必ずしもダイバーランクを意味しません。1人ひとりのダイバーには、自然に対して謙虚な態度であることと、自らのレベルの適切な評価をする能力が問われているのです。泳げるという過信や特別な自分という自尊心が判断を狂わせているのです。指導者はダイバー認定にあたり、知識・技術・姿勢(態度)といった要素をチェックしますが、講習を含めツアーにおいても特に姿勢(態度)の問題を、私たち指導者がどこまで踏み込んで伝えることができるかがダイビング教育にとって重要な鍵になってくることでしょう。
世界の先駆者だったU.S.YMCAのスクーバプログラムもついに半世紀(1959年~2008年)で役割を終え、NAUI(1960年~)が現存する最も古い潜水指導団体となりました。「ダイビングビジネス」を意識しないわけにはいきませんが、誇りある最古の指導団体NAUIの一員として、全国の皆さんと共に末永く「ダイビング教育」の世界で発展していけることを願っています。
広島マリネットダイビングクラブ 弘中 満雄(#19459)